2009.12. 4 [ Fri ] 20:39
日本の歴史に興味を持っている方は御存知だろうが、江戸時代から明治の初めにかけて、武士の世界で一番暗く、穢れとされた、斬首刑執行人のお役目があった。その最たる家系が初代の山田浅右衛門から始まり、八代続いた家系である。七代目、八代目は浅ではなく、朝の字に変えている。
さてこの山田家は、将軍家の刀剣の試し切りのお役目を仰せつかっていた家系である。そのために罪人の首切り役として、「将軍家お試し御用」という役職名が付いていたが、身分はあくまでも浪人であった。
罪人の首をただ刎ねるといっても、罪人を苦しめずに、一瞬にして首を刎ねるには大変な技術と胆力が要ったはずである。
その為の剣術の鍛錬も重ね、人の首を刎ねるという重苦しい罪悪感にも耐えねばならない。しかし、恩恵もあった。当時薬剤がそれほど発達していない時代に、自分が首を刎ねた死体から、脳味噌、胆嚢、肝臓、陰茎を払い下げてもらい、乾燥させ、「人丹丸」とか「慶心丸」とか名前を付け、丸薬として売っていた。普通に考えても、牛の肝や豚の肝は肝臓に良いといわれているのである。ましてや人間の肝である。当時高値で売れたことは間違いない。ゆえに山田家は大名家ほどの収入があった。
首切りの人生である。己自身、心が鎮まることも無く、数え切れないほどの咎人の首を刎ねるのである。故に片方では、死者の為の供養塔を建てたり、貧民の救済など、浄財に心がけても居た。しかし、たえず「死の淵」を見続ける人生であった。何十人、何百人の「死」を共有する人生であった。病で亡くなる人間を見届けるのではなく、己の手で「生」から「死」への最短距離を作り出し、瞬時に飛んだ罪人の意識を被るのである。霊にもならない生の意識を背負うのである。背負いきれないほどの不完全な零体を無数に背負うのである。
中には、首を斬られることに恐怖のあまり、暴れまわる罪人も居た。肩を抑える役人も持て余し、首が定まらないのだ。
そんな時、朝右衛門は抜刀したまま、しばらくその罪人を見下ろしていて、
『今日は中止じゃ。』と、刀を納める。すると罪人はしばしの命乞いが出来たと思い、ほっと肩の力を抜いて、おとなしく首をうなだれるのである。その瞬間、朝右衛門は抜き打ちで首を刎ねるのであった。それも、罪人の首の皮一枚を残して刎ねる極意を持っていて、斬られた罪人の死体は、皮一枚で繋がっている斬られた首の重さで、そのまま、つんのめる様にして前の穴に落ちていくのであった。故に朝右衛門は返り血を浴びることが無い。
七代目の朝右衛門は吉田松陰や大久保利通を暗殺した下手人の首も刎ねている。
中には「お世話を掛けます。」と静かに首を刎ねられる者も居た。
人の死に様は、人それぞれであると言うが、斬首で死ぬという結末は一種類に絞られるわけである。その瞬間は斬る側と切られる側は一体である。しかし、首を刎ねた直後の意識は、斬る方に全ての負担となって残る。因果な家系であった。
朝右衛門は首を斬る前に必ず涅槃経の四句を唱えたそうだ。
三代目、浅右衛門吉継の辞世、
一振りの 枕刀や 時雨鳥 (時雨には、涙を流すという意味もある)
四代目、吉寛の辞世
蟋蟀(コオロギ)や 地獄を巡る 油皿 (油の中に落ちたコオロギの様であろう)
人の苦しみの極致を見続けた人間の辞世である。
刀剣のお試しには、只首を刎ねるだけではなく、首を刎ねた後もその死体の胴斬り、すなわち鳩尾(みぞおち)のところを切る。後は臍の下、骨盤切り、袈裟斬り、三つの胴を重ねて斬る三つ重ね斬り、などあらゆる角度から試し斬りを行う場合もあった。
さて、以上は江戸から明治に掛けての首切りの話である。
今現在、企業の多くが首切りに悩み、そして実行している。
わしが良く行く呑み屋は、常連客が大半で、男の港になっているような酒場である。男一人が会社帰りにぶらっと立ち寄って、客同士が話し、ママ一人で気ままに客の相手をし、家庭に帰って味合うような安らぎを求めて常連客は立ち寄るのである。今や家庭に帰ると、生活という現実を突きつけられ過ぎて、かえって今の亭主は緊張する場所になっているのかもしれない。皮肉な時代である。
その上、男一人が立ち寄って、何かうまいものを食い、ほっと酒が飲めるような呑み屋が最近は少なくなったのである。しらけた場所で一人で酒を注文しても、そそくさと帰らなければ気まずくなるし、居酒屋で一人で飲むのはもっと淋しかろう。また会社の近くの呑み屋では、結局会社の延長で、只、同僚の愚痴や仕事の話に成ってしまうのが落ちであろう。男達が仕事を忘れ、家庭も忘れ、一人の男になって呑める場所が無いのが現状であろう。その点この店は架空の大家族の安らぎを得て、結構本音を漏らし合う場所になっているのである。
実名を挙げるわけにもいかんから、仮に「安楽亭」と山本周五郎から名前を借りることにする。この「安楽亭」は結構大きな企業の単身赴任者、それも相当な地位の男たちが集まる場所でもある。職業はまちまちだが、わしはその中に入って、「肩書きを忘れろ!」「一人の男として話す場所なのだ!」と変な掟を作ってしまった。それがかえって、常連客が安心して飲み、話に花が咲くのであった。まあ、わしの毒舌を良くみんな我慢もしてくれている。感謝である。
ここに一人の物静かな品の良い男が常連客に居る。いつも人の話をニコニコしながら聴き、わしとは正反対な優しい紳士である。しかし、詳しくは聞かぬが、この紳士はちょくちょく職場が代わるのである。それも一流企業の人事部に
へッドハンティングされるのであるが、必ず数ヶ月でまた別な企業の人事部に移るのである。それもいきなり、人事部長などという肩書きすら付くときもある。彼が或る時、一つの会社を辞めた折、「私は出家するか、どこかお寺で修行したいと思うのです。」と言い出した。常連客は「それはいけない!まだ歳も五十歳そこそこなのに、まだ働かなければもったいない!」と常連客はみんなその説に反対した。その後また彼は思い直して、再就職をした。こんな時期に、高給で再就職できること自体が不思議だと思っていたわしだが、ある時、ハタと気づいたのである。そうか、彼は悩みながらも平成の首切り執行人をやっているのだ!これはあくまでもわしの想像ではあるが、他に考えられないのである。大企業の卑怯な上役共は、一緒に長年働いてきた同僚の首を切る負い目から逃れたくて、一時的に首切り執行人を雇い入れるのである。だから一応首切りの員数が達したところで、その執行人はお役目御免と成るのである。
彼は職業として外見は穏やかで、優しく接しながら、結局社員の首を容赦なく切るのである。その手腕を浅右衛門の如く買われるのであろう。
わしは彼の職業を軽蔑はしない。しかし、大本の企業の上役共の卑劣さを軽蔑する。自分では手を下さない、手を汚さないコイツ等の体質、そして、そいつ等が支える企業の体質は日本の武士道に反するのである。共に傷つくのを逃げやがるのである。浅右衛門はちゃんと首を刎ねる人間の痛みを背負っていた。この『安楽亭』の紳士も相当な痛みに出家まで考えたのである。
今日本から武士道の精神、日本人が長年培ってきた日本的な「精神の美学」が消えてしまった。それは会社からも組合からも、家族から個人まで、基本的な精神の美学が消えてしまったのだ。痛みを分け合うという精神すらも消えてしまったのだ。相手を殺しても、殺される側の痛みを引き受けないのである。
それは冷暖房の利いた部屋からミサイルのボタンを押すようなことなのだ。
殺す相手の顔を見ないのである。テレビに流れれば、それは他人事であるし、やはりお笑いの世界と同じ次元で見ているのである。
役人共が不祥事を起こし、それが表沙汰になると、外部からの折衝に対して、張本人の偉い役人は絶対に顔を見せず、下っ端の係長辺りが表に出て答えるのである。犯人は顔を見せないのである。
首を刎ねられる者達よ!最後まで暴れるのだ!
自分が理不尽に殺されるのだ、相手を殺す気で戦え!
無実の罪で首を斬られる人間が現代ではあまりにも多い。
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