沈みゆくタイタニックの上で
essay - エッセイ    2010.08.23 [ Mon ] 17:53

今年初めにアバターを観て、すっかりジェームズ・キャメロンのファンになりました。


その時に「侵略の歴史と『アバター』」という記事を書かせてもらいましたが、その後も内容を思い出すたびに、そういえば軍隊がキレイに整列し、四角の隊列を組んでいたのと対照的に、ナヴィたちは円を作って、丸く集まっていたのも、とても象徴的に描かれていたな、、と。


縦社会、権力によって統制をとっている世界と、円が広がるようにコミュニティーとして統制がとれている世界との対比。


そういうものを言語情報によって説明することは一切なく、視覚情報として無意識に把握させる感じがイイ。


人間、丸とか円っていうものが"悪"だとは認識しにくい。どうしても丸とか円の方を"善"と認識し、角張ってる方を相対的に、あくまで相対的に、"悪"としてとらえてしまう可能性が高い。


大阪のデザイン界の大御所、奥村昭夫さんが、円や丸を「完全な形」として、その力について話されていたのを思い出します。


しかし、これと同じように、私たちは現在、官僚社会を悪、"平等な"社会を善と、条件反射的に認識すると思うのですが、実は格差社会を是正する最良の方法は、官僚社会がうまく機能するように持っていくことであって、"平等な"自由競争に全ての人をさらすというのは、めちゃくちゃ危険な気が。。


年金とかもヤバいヤバいと煽るので、身構えちゃって結果として税収も下がるんでしょうし。


歴史的に見ても、安定的に存続していた社会というのは、"善良な独裁"によって成り立っていたケースがほとんどです。


耳あたりの良い現実、常識、情報や言葉に対しては、客観的に考えられるような習慣を持っていたいもんです、、はい。


アバターでも、軍隊を完全な悪とは描いておらず、昔ながらの人間味を感じさせる描写がところどころに垣間見えて、いろいろ感じるものがあり、面白かったです。


。。


で、久しぶりにキャメロン映画『タイタニック』を観てみたのですが、妙な疑問というか、こうすれば良いんじゃないの?と思う節が。


潔く船内で死ぬこともできず、他人を押しのけてまで数少ないボートに乗って、自分だけ助かろうとする厚かましさも持てない。でも、どうしても生きたいと思うのなら、、。


船内にあるものを使って小舟を即席で作って、めちゃくちゃ厚着して、ある程度の水や食料をカバンに詰めて、吊れた魚や捕まえた鳥などを最小限の道具で調理できる人と、海流を読める航海技術のある人を誘って、三人で漕ぎ出す、、というのはどうでしょう?


最短で、人のいる大陸や島に辿り着ければ、なんとかなる。人のいない場所に流れついたとしても、その三人ならなんとかできる。


そういうことやった人、いなかったのかな?


余裕があれば、他の人達にも手順を教えてあげたりして。


あの時代は、工業社会への揺るぎない信頼があったのだろうし、人間社会の行いや造り出すものへのオゴリがあったので、、そういうDIY的、インディペンデント的なことは、発想として重要視されなかったんですかね。


不謹慎ながら、もし今の時代にまたああいう事故があって、現代の技術が使えない状況に陥ったとしたら、私と同じような発想で生き延びようとする人、けっこう出てくるんじゃないでしょうか。


。。


しかし、沈みゆくタイタニックと、今の日本経済をダブらせて見てしまう、、、のは良くないですが、私たちが、インディペンデントで独自な発想を実行することの利点を最大限に活かせる時代にいることは、確かですね。


ただ、そういうものが当たり前な世界は、多くの人を救いやすい世界にはなりにくく、適者生存、かなりキツい世界でもありますね。



作曲家/音楽家

JETT.A

浅川真洋による、クリエイティブユニット、作曲家、音楽家。数多くのTV番組やCMの音楽、東京ジャズ2009、2010のオープニング曲や、日本コロムビア100周年サウンドロゴ、2016年東京オリンピック構想のイメージ曲などを担当。現場にて着実に頭角をあらわし、海外からの評価も高い。