どうしてデザイナーになったか。その7
    2008.11. 6 [ Thu ] 15:38

サン・アド入社。

1989年〜

23歳の時。

バブル全盛時代、この頃もアナログ時代。

まだ一般的にはパソコンが存在しない頃。

カラーコピー機はこの頃から一般化する。


清水正己さんの事務所で働かせて頂き、

約10カ月ぐらいした頃、

生活が変わったことや自分の家の環境からか、

僕は急にぜんそくになってしまう。


今まではそんな病気という病気に

かかったことが無かったのでバタバタし、

事務所を手伝わせてもらうことも一旦やめ、

休みをもらい検査入院した。


この検査後も免疫の無いモノを毎週注射され、

ぜんそくをおこして点滴で直すという、

免疫を作らせる治療を受けなければならず、

とても苦痛だった。

今、考えると申し訳ないが、

ぜんそくが引き金で中途半端なまま

清水さんの事務所を離れてしまった。


その後、実家にも近かった、

サン・アドの入社試験があり受けることにした。

たまたま新卒を採用するタイミングで、

入社出来ることになった。

ちょうど1年遅れの新卒のような感じで入社が決まった。

また出社するまでに、

3ヶ月ぐらいの空きが出来たことも

治療にいけるしいいと思った。


しかし治療も免疫が無いモノを入れられるのが苦痛で、

通院は中途でやめてしまい薬だけに頼ることになり、

寒くなるとぜんそくが出るようなことになってしまう。


1989年3月、23歳の時にサン・アドに入社。

先輩ディレクターのアシスタントが、9割。

しかし景気が良かった時代なので、

会社には仕事がたくさんあり、

ソニーの仕事を先輩が見てくれながらも

自分で進行させてもらえる、

担当ともいえる仕事も与えてもらえた。


何もかも試行錯誤ではあったが、

クライアントの意向を聞き、

制作するということをはじめから出来たことはうれしかった。

印刷にも興味を持ち、

良い仕法をまねをしてデザインすることが多かった。


1.jpg
















クライアントに企画を説明する、

そして製作進行し納品するという機会に恵まれて

初めてデザイナーになったなぁと感じていた。


こうして僕は、

やっとスタート地点に立て、

デザイナーになった。

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武藤 :

はじめまして。今日、偶然、青木さんを知りすげぇなって思ってます。僕は今、総合大学に通ってる学生です。高校時代は芸術コースみたいなのにはいっていて大学も芸大とか専門に行こうと思っていたのですが・・・自分が何をしたいのかを一つに決めれず結局浪人して総合大学に今年入学しました。今は大学の広告研究会で活動してます。広告が好きなんです!僕は広告は芸術作品だと思っているのですが研究会の周りの先輩や同回の友達全員が広告は商品を買わせるためのただの媒体に過ぎないってゆうんですよ!!マーケティングがどうだとかばっかです。まぁ芸大じゃないからしょうがないですけど・・。モノのデザインだけじゃなくて広告もできてる青木さんかっこいいです。いくつか作品見せてもらいましたよ!!かっこいいです。これからブログ毎回チェックさせてもらいますね!!では・・

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クリエティブディレクター/アートディレクター

青木 克憲

65年東京生まれ。サン・アドを経て、99年バタフライ・ストローク株式會社設立。広告のみならず、グラフィック、映像など活動範囲は広く多岐にわたる。企画立案から表現まで幅広くこなせるディレクターとして活躍中。落書きふうの線描や写真、CGを自在に使い分け、鮮度と喚起力に富むビジュアル表現が評判で、多数の企業をクライアントにもつ。