だれのためのあわか
    2007.10.27 [ Sat ] 16:48
今日書店でおもしろい(わたし的にはものすごく面白い)本を見つけ
ました。ぽむ企画編集の「バブル建築へGO!」バブルへゴーの建築版。

1986年ぐらいから1992年を「その時代」と呼ぶならば、わたしはし
っかり覚えがあります。

覚えはありますが「恩恵」も「のっかり」もなかったので、ひたすら
見る側、経験する側だったがゆえの面白さかもしれません。

バブルの頃、ポストモダニズムが盛んに取り上げられていて、「その
かたち」とバブル期の建築の造型がいっしょくたになっているような
気がしますが、そのあれこれに言及はしませんのです。

思うのはあれから20年。再評価されるかどうか。そこのところが気に
なるのです。

再評価されればそれで「有り」というのも乱暴ですが、公共建築でな
く個人のオーナーが自腹を切って『この人に賭けてみよう』『あの有
名な建築家で知られよう』と思ったならしょうがないなあ。と思う訳
です。 納得づくなら。

あとは「あれですね」 内装が「快適」だったか、内装に外装ぐらい
の気と費用をつぎ込んでそれでいて趣味良く 虚飾でなく。とにかく
使い易いものか。

そこの「あれ」が気になる訳です。

そして建物のオーナーがきれいに使って、その建物をずっと維持して
いたか。つまり愛情ですね。

愛しているならまわりがとやかく言うものでもないかと思う訳です。

だからその時期に同じ建築家が手がけたものでも、その後の愛情でバ
ブルじゃ無くなるように思う訳です。

先日出来た「新丸ビル」と「ミッドタウン」どちらも外観じゃなくて
内装がある意味「バブル」です。豪華という意味。

特に「新丸ビル」は空間もそうですが内装のデザインや設置されてい
る家具などかなり豪華で、とりわけ「トイレ」は豪華で必見という感
じですが、それらのゴウジャスさは特定の人ではなく、そこに来る人
すべてにサービスとして提供されているのでなにか「認めてしまう」。

パブリックな部分で「バブル」が供されていれば、見え方は違ってい
たのかと思う訳です。







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コメント(2)

はじめまして。ブログの上段右の佐藤まどかです。どうぞ宜しくお願いします。

拝読させて頂き、面白かったので、内輪で申し訳ありませんがコメントさせて頂きます。

私も、バブルの恩恵はなかったのですが(イタリアにすでに移り住んでいましたので)、日本のクレイジーなバブル状況は外から見ると、相当過激でした。

でも、よく考えたら、ローマ帝国も、長く続いたバブルみたいなものですね。
バブル時代のものは、批判されるべきものもあるでしょうが、そういう時代だったからこそ可能だった「無駄遣い」の面白さもあるのでしょう。
ローマのコロッセオなど、一連の建築物もそうですよね。
当時は真っ白いカラーラの大理石で仕上げられていたというのですから、相当ゴージャス。
こういうものも賛否両論はありましょうが、お陰で何千年経っても残り、万民を楽しませるものになっているのかもしれません。

ただし、建築物って、そう簡単に取り壊すものではないので、責任は重大ですね。欧州にいると、何千年や数世紀経った建物が多いので、簡単に造ったり壊したりするという状況には、やや疑問を感じます。とはいえ、だからこそ、日本は建築家が活躍する場面が多いのでしょうが…。

とても考えさせられるテーマです。

wada :

いですね。ミッドタウンにはよく行きます。
たしかに豪華なつくりではあるのですが、何回かいくと親近感が沸いてきます。豪華建築であってもみんなで親しみをもてるようなものであってほしいですね。

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プロダクトデザイナー

秋田 道夫

1953年大阪生まれ。1977年愛知県立芸術大学美術学部デザイン科卒業トリオ株式会社(ケンウッド)、ソニーデザインセンターを経て1988年よりフリーランスとして公共機器や生活家電のデザインを手がける。デバイスタイルのサーモマグコーヒーメーカーや一本用のワインセラー、六本木ヒルズのセキュリティゲート、他にも公共性の強いデザインとして、「LED 交通用薄型信号機」やICOCAの入金専用機を手がける。